会津坂下ぶらっと散歩

会津坂下五山
会津坂下五山
会津坂下町歩くべガイド
会津坂下町歩くべガイド

坂下(番下)の地名が正式な記録に現れるのは「塔寺長帳」天喜5年(1057年)で、
時は平安時代で前九年の役の頃です。
寛永年間(1624〜1644年)蒲生忠郷の時に町割りが行われ、ほぼ現在の町の形態
に整えられました。毎月4と9のつく日に市日と定め、近郷近在はもとより遠くからも人が
集まり物産を売り買いし、たいそうにぎわったそうです。今も毎月14日には「14日市」が
開かれて町内の産品を提供するだけでなく、県立会津農林高生達も学習の成果を披露
するなど新しいイベントとしての試みも加えられています。
正月14日の初市は特に人出が多く、15歳〜65歳までの農民が上下2組に分かれて
米俵を引き合い、米価の高下を占ったという400年続く奇祭大俵引きは現在も続けられ
ており、町最大のイベントとなっています。大俵の引き手は一般からの参加も募り、近年
は外国人も参加するなどして国際色も出てきています。
氷点下の気温に耐え、5tの大俵を引き合う気力と体力が自慢で、紅白の下帯姿に自信
のある方は祭にエントリーしてみてはいかがでしょうか。
問い合わせは、会津坂下町観光物産協会(0242-83-2111)へ。

明治11年(1878年)6月11日に坂下を訪れたイギリス人の旅行家イザベラ・バード
(当時47歳)は「じめじめとして足元はぬかるみ、蚊に悩まされた。」と印象は決して
良いものではなかったが、「住民は親切で、礼儀正しく、それは見ていても大変気持ち
が良い・・・。」と好印象を残しています。
貴方も平成のイザベラ・バードになって坂下の町を散歩に出かけてみませんか?

町割りが行われる前は、寺院が並ぶ現在の北裏通りがメインストリートでした。
坂下五山とも呼びたい北裏通りに並ぶ寺院、東から法界時、光明寺、光照寺、貴徳寺、
定林寺はいろんなエピソードを持っていて、歴史的な文化の息吹にも出会えます。
坂下は古来より明治期までに度々大火にみまわれるなどして、社寺の什宝や古文書
などが失われてはいるが、災禍を免れた物の中には文化財として貴重な物が含まれて
います。それらを拝観してみるのも会津坂下町を理解する手懸りとなることでしょう。
ただし、坂下のお寺は他の観光地とは違って公開はしていないので、本堂内の拝観は、
事前に会津坂下町観光物産協会(0242-83-2111)へ問い合わせてから、お寺へ連絡
して許可を確認して下さい。是非「仏都会津坂下」を体感して下さい。

こらんしょ! 懐かしいものに 会えっかも しんにがらし!

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